食料のグローバル化の恐怖――世界から食料を買える国は、本当に「食料に困らない国」なのか

アイキャッチにあるクイズ、「なんでいきなりドイツ?」と思われるでしょうが、日本と比べるとどうなのか、という点で、とても参考になる数値なので、クイズにさせていただきました。正解は最終章の直前に記載しています。
さて、スーパーへ行けば、世界中から集められた食料が並んでいます。
小麦、大豆、肉、果物。季節を問わず、多種多様な食料を手に入れることができます。
これは、世界との交易によって私たちが手に入れた豊かさです。
前回の記事で取り上げた江戸時代の堂島米会所では、日本人の生命を支える「米」をめぐって、現物取引だけでなく米切手、さらには将来の価格を取引する帳合米商いまで発達しました。
そこではすでに、「実物を動かす経済」と「価値を動かす経済」が分かれ始めていました。
それから約300年。
食料をめぐる市場は、日本国内から世界へ大きく広がりました。
しかし、ここで一つの疑問が生じます。
世界中から食料を「買える」ことと、国民がこれからも食料を「安定して得られる」ことは、本当に同じなのでしょうか。
73%から37%へ。わが国の食料自給率の状況
73%から37%へ。
これ、単なる数字あそびではありません。
現在、日本のカロリーベース食料自給率は37%です。
1965年度には73%だったカロリーベース食料自給率は、半世紀余りを経て2025年度には37%まで低下しました。なんと、ちょうど数字が左右逆転してしまったのです。
もちろん、この数字だけを見て単純に「日本の食料の63%が外国産だ、なんてこった!」と考えることはできません。食料自給率には別の指標もあり、また国内で生産された食料でも、その生産過程で海外の飼料や肥料、エネルギーを利用している場合があります。
それでも長期的に見れば、大きな変化があります。なぜ、日本の食料自給率はこれほどまでに低下してしまったのでしょうか。
それは、この約60年間で、私たちの食生活そのものが大きく変わったからなのです。
なぜ日本の食料は「グローバル化」していったのか
戦後、日本の人口は増加し、経済は成長しました。所得も増え、暮らしが豊かになるにつれて、食卓も変わっていきました。
米を中心とした食生活から、パン、肉、乳製品、油脂などを日常的に食べる食生活へ。
そして肉を多く食べるようになれば、その家畜を育てるための飼料も必要になります。
つまり、日本の食料のグローバル化とは、スーパーに「外国産」と表示された商品が増えたというだけではありません。食生活そのものが変化したことで、その食生活を支える生産構造まで世界と深くつながっていったのです。
同時に、日本は世界との貿易を拡大してきました。
海外から食料を輸入できるようになったからこそ、国内の収穫量や季節だけに左右されず、多様な食生活を楽しめるようになりました。
したがって、食料のグローバル化は、日本に一方的に押し付けられたものではありません。私たち自身がその恩恵を受け、選んできた豊かさでもあります。
だからこそ、問題を「外国産か、国産か」という単純な対立にしてはならないのです。
問わなければならないのは、
「その豊かさと引き換えに、私たちは何を世界へ委ねるようになったのか」
ということです。
日本の食料がいかにグローバル化していったかを、「日本の食卓は、どう海外依存型へ変わったのか」と題して、AIに図にしてもらいました。

自由貿易と国内農業保護のせめぎ合い
世界から安く食料を買いたい。
しかし、日本国内でも食料を作り続けたい。
戦後の日本農政は、この二つの要求の間で調整を続けてきました。海外から安価な農産物が入れば、消費者には食料品を安く買え、選択肢も増えるという恩恵があります。
一方、国内の生産者は世界の農産物との価格競争にさらされます。逆に国内農業を強く保護すれば、生産を維持しやすくなる一方、その負担が価格や財政支出として国民に及ぶ可能性があります。
だから日本は、どちらか一方だけを選んできたわけではありません。
世界との交易を広げながら、関税、輸入枠、国家貿易、国内支援などを組み合わせてきました。
「安く買いたい」と「国内で作り続けたい」。
どちらも国民生活に必要だからこそ、その間を政策によって調整してきたのです。
このせめぎ合いは、現在も続いています。このせめぎ合いも、AIに図にしてもらいました。

人が減り、農地が集まる日本農業
国内に目を向けると、もう一つの大きな変化が起きています。
農業から人が減っています。
農業経営体は大きく減少し、基幹的農業従事者の高齢化も進んでいます。
これは決して軽く見ることのできない問題です。
現在農業を担っている世代が引退したとき、その農地を、次に誰が引き継ぐのでしょうか。
農地が存在するだけでは、食料は生まれません。作り続ける農家の方が必要です。
しかし、
「人が減っている」=「日本の食料生産力も同じように失われている」
と考えてしまうと、同時に起きている別の変化を見落とします。日本農業で起きているのは、単なる消滅だけではありません。その構造そのものが変わり始めています。
実は、農家に携わる人が減る一方で、農地はより大きな組織体へ集まり始めているのです。こちらの詳細は後述します。
食料を世界に依存する国で、何かが起きたら
世界から食料を買うことができる。
それ自体が問題なのではありません。
問題が表面化するのは、世界で「何か」が起きたときです。
戦争や国際紛争。
異常気象や不作。
輸出規制。
海上物流の混乱。
エネルギー価格の上昇。
為替の変動。
しかも、日本が海外に依存しているのは完成した食料だけではありません。食料そのものに加え、家畜を育てる飼料、作物を育てる肥料原料、生産や加工、輸送に必要なエネルギーまで、いくつもの海外依存が重なっています。
つまり、
「国産」と書いてあるから、世界で何が起きても影響を受けないわけではないのです。
近年も、新型コロナ禍による物流の混乱やロシアによるウクライナ侵攻、肥料やエネルギーをめぐる国際環境の変化が、日本の食料生産や価格に影響を及ぼしました。
もちろん、
「海外依存=明日から食料がなくなる」
という話ではありません。
備蓄もあれば、輸入先の分散もできます。世界との交易そのものも、日本の食料安全保障を支える重要な手段です。
それでも一つの問題は残ります。
海外への依存が大きくなるほど、
国民の生命に必要な食料の「量」と「価格」が、日本自身ではコントロールできなくなってしまうのです。
これこそが、「食料のグローバル化の恐怖」です。
外国の食料が怖いのではありません。
世界との交易が悪いのでもありません。
国民の生命を支える食料の量と価格まで、自国だけでは制御できない構造に依存しすぎること。
そこに、考えなければならない危うさがあります。この危うさを、AIに図にしてもらいました。

「人が減る=作れない」は本当か?
ここまで見てきたように、日本では農業を担う人が減り、高齢化も進んでいます。では、このまま農業人口が減り続ければ、日本で作れる食料も減り続けるのでしょうか。
一見すると、そう思えます。
しかし、農業の生産力を決めるのは、「何人が農業をしているか」だけではありません。
一つの経営体がどれだけの農地を担えるのか。
一人の働き手がどれだけの作業を担えるのか。
そして、機械や技術によって、それをどこまで高められるのか。
ここからは、「人の数」ではなく「食料を作る力」という視点から、日本農業を見てみましょう。
農業人口が少ない国は、本当に農業が弱いのか
海外を見ると、農林水産業に従事する人の割合が少なくても、高い農業生産性を持つ国があります。
オランダやドイツがその例です。オランダの従業者全体の農林水産業就業者の割合は約2%、ドイツは1.2%。日本とほとんど変わらない比率で、高い国内自給率を誇っています。
もちろん、日本とは国土、農地、気候、作物、政策などが異なるため、単純に真似することはできません。
しかし、一つだけ言えることがあります。
農業に従事する人が少ないことと、農業が弱いことは同じではない。
つまり、農業の力を「何人が農業をしているか」だけで測ることはできないのです。
だとすれば、日本が考えるべき未来も、
「昔のように大勢の人が農業をする日本」
だけではないはずです。
少ない人数でも、必要な食料を作り続けられる農業。その可能性を考える必要があります。
日本農業で進む「大規模化」という新しい動き
その兆しは、すでに日本国内にも現れています。
農業経営体全体が減少する一方で、法人経営体は増えています。農地の集積も進み、より大きな経営体が広い農地を担う割合も高まっています。
つまり、日本農業は、
「多くの人が、それぞれ小さな農地を耕す農業」
から
「より少ない経営主体が、より広い農地を担う農業」
へ、少しずつ形を変え始めているのです。
もちろん、大規模農業だけが正解ではありません。
中山間地域の維持や、多品種の生産、地域文化の継承など、小規模農家だからこそ担える役割もあります。
それでも、人口そのものが減っていく日本では、
「一つの経営体が、より広い農地を担う仕組み」
の重要性は高まっていくでしょう。
では、その広い農地を、少ない人数でどう耕すのでしょうか。
日本の食料生産力は、まだ伸ばせるのか
そこで重要になるのが、機械化、自動化、データ活用による省力化です。
GPSを利用した農業機械、農薬散布用ドローン、自動水管理、データによる生育管理。
これまで人の経験と労働力に大きく依存していた作業の一部を、機械やデータが担い始めています。農林水産省のスマート農業実証でも、省力化や収量向上につながった事例が報告されています。
もちろん、技術を導入すればすべてが解決するわけではありません。導入コストもあれば、地域差や作物差もあります。
それでも、農地集積、大規模化、機械化、自動化を組み合わせることで、
「少ない人数でも国内の食料生産力を高められる余地」
は残されています。
政府は2030年度のカロリーベース食料自給率目標を45%としています。
では、日本の食料生産力は、本当にそこまでなのでしょうか。
さらに高めることはできるのでしょうか。
現時点で、その数字を断定することはできません。
しかし少なくとも、
「農業人口が減った。だから日本はもう食料を作れない」
と結論づけるには早すぎるのです。
問題は、日本に食料を作る力が残っているかどうかだけではありません。その力を、作り続けられる仕組みにできるかどうかです。
この「人が減る≠作れない」の説明も、AIに図にしてもらいました。

というわけで、ここでクイズの正解を発表しておきましょう。
途中にも出てきましたが、ドイツの従業者全体の人口約4,593万人に対して、農林水産業就業者は約56.2万人で、その割合は約1.2%です。日本の3%(従業者全体の人口約6,828万人に対して農林水産業就業者約200万人前後)よりもずっと低い数字です。これからの日本のミライの第一次産業を考える上で、少し明るい情報と言えますね。
国民の食生活を安定させるミライの構想へ
ここで、堂島米会所へ戻ります。
江戸時代、米価が下がりすぎれば、米を収入の基礎としていた側が苦しくなりました。
しかし米価が上がりすぎれば、今度は米を買って生活する側が苦しくなりました。
作る人を守りながら、食べる人も守らなければならない。今も昔も、この難題を避けて通れません。
堂島米会所は、その難題に対して、先物取引という仕組みを発達させた日本の歴史の一つでした。
そして約300年後。
私たちは、より大きな市場の中で同じ問いに直面しています。
世界との交易を断つことはできませんし、その必要もありません。
しかし一方で、国民の生命に不可欠な食料の量と価格を、世界市場の動きだけに委ねてよいのかという問いは残ります。そして国内では、農業を担う人が減る一方で、農地集積、法人化、大規模化、技術革新という新しい動きも始まっています。
つまり日本には、
「海外依存による脆弱性」
「国内の食料生産力を再構築できる可能性」
の両方があります。
では、この二つをどう結び直せばよいのでしょうか。
輸入をやめるのでもない。
国内農業を昔の姿へ戻すのでもない。
市場を否定するのでもない。
世界との交易の恩恵を受けながら、日本国内にも国民の生命を支える食料生産力を残す。
作る人が安心して作り続けられ、食べる人も安定した価格で食べ続けられる。
それらを同時に実現する仕組みを、もう一度考える必要があるのではないでしょうか。
かつて堂島で、私たちのご先祖様は、「食料」と「市場」をむすびつけました。
現代の私たちは、そこから何かをつむぐことができないでしょうか。
その可能性を、未来の子どもたちの食生活の安定へむすぶことができないでしょうか。
次回は「むすびたいミライ」の
を考えます。


